佐々木朗希投手といえば、「令和の怪物」と呼ばれている、大注目の高校生ですよね!
190㎝という長身から繰り出される剛速球、しかもイケメンときたら、話題にならないわけがないですw
そんな佐々木朗希投手ですが、気になるのは父親の存在ですね!
たいてい、野球選手になる人は父親も野球が好きだったり、幼いころから一緒に練習していたりしますよね。
きっと厳しいしつけをされていたのではないでしょうか??
はたして佐々木朗希投手の父はどんな人物なのか、調べてみました!
佐々木朗希のプロフィール
名前:佐々木朗希(ささきろうき)
生年月日:2001年11月13日
出身地:岩手県陸前高田市
身長:190㎝
体重:86kg
2019年の春に開催された、野球U18高校日本代表候補1次合宿の紅白戦で、日米12球団44人のスカウトの前で
163キロという衝撃の投球を放った佐々木朗希投手。
これはあの大谷翔平選手の高校生時代よりも早いスピードだったこと、高校生でこんなに速い球を投げる人は初めてだったこともあり、
その日から「令和の怪物」と呼ばれるようになりました。
プロ以上に速い球を投げちゃったわけですねwすごすぎますww
しかも佐々木朗希投手は長身でイケメンなので、佐々木朗希投手目当てで野球を見に来る女性たちも多かったとか。
これからがますます楽しみな高校生ですね!
佐々木朗希の父について
まず初めに、佐々木朗希投手の父は東日本大震災の犠牲者となりました。
享年37歳、当時の佐々木朗希投手は小学校3年生でした。
ちなみにその震災で祖父母も亡くされているそうです。
ちょうど父親が必要な年代なので、さぞかし辛い思いをされたでしょうね。。。よくここまで立派に育たれたなと感心します。
佐々木朗希の父はどんな人だった?
若くして震災の犠牲者となってしまった佐々木朗希投手の父ですが、生前はどんな方だったのでしょうか?
お名前は、佐々木功太さん。(残念ながらお写真は見つかりませんでした。上の写真は3兄弟と母の陽子さん)
どうやら、明るく面白い方で、自分のことよりも他人のことを一番に考えるような心優しい方だったそうです。
また、スノーボードやジェットスキーなどが趣味だったそうで、かなりアクティブなお父さんだったのですね。
佐々木朗希投手の運動神経も、父親譲りなのでしょう!
一方で、叱る時はしっかりと叱り、佐々木朗希投手と、兄である琉希さんにも厳しくしつけをされていたそうです。
休みの日には、佐々木朗希投手や兄の琉希さんと共に、キャッチボールをするなど、子煩悩な父であったことがよくわかります。
佐々木朗希の父の職業は?
佐々木朗希投手の父は、葬儀屋で働かれていたそうです。
スポーツ関係のお仕事をされていたのかと思いきや、なんだか意外だなと感じたのは私だけでしょうか??
そもそも、佐々木朗希投手が野球に興味を持ったのも、父の影響ではなく、兄の琉希さんが地元のスポーツ団に入ったことがきっかけだったそうです。
それにしても、葬儀屋さんといえば不規則な勤務時間で大変なお仕事かと思いますが、休みの日には息子達とキャッチボールをして遊んでいたお父さん、父親の鏡のような方ですね!
佐々木朗希の父のしつけとは?
佐々木朗希投手が小学校3年生の時に、父が亡くなっているので、実質のしつけは母親の陽子さんがされていました。
しかし、母の陽子さんいわく、兄の琉希さんが父親代わりでしつけをしていたんだとか。
琉希が弟の朗希に厳しく接していて、野球面でも生活面でも、朗希が兄の琉希から褒められているのを見たことがありません。見ててかわいそうなぐらいで、その反動で朗希は常に兄を超えようと頑張っていました。お父さんが長男にはしつけの面では厳しくて、弟の朗希と怜希にはすごく優しかった。琉希本人には聞いたことがありませんが、父が亡くなってしまったので、その立場を琉希がやろうとしていたのかもしれません。
なんてできたお兄さんなのでしょうね!こちらが兄の琉希さん↓
現在は大学2年生で、震災当時は小学校6年生でした。
自分がしっかりしなきゃと、父親代わりに朗希さんに接していたのですね。
もちろんの本人の努力もありますが、父の死を経験したこと、兄の厳しいしつけによって、今の佐々木朗希投手があるといっても過言ではありません!
まとめ
いかがでしたでしょうか?
佐々木朗希投手の父について調べてみました!
お父さんとしては、幼い子供たちを残してこの世を去ったことは心残りだったことでしょう。
しかし、兄の琉希さんが父代わりとなり、それに応えるように朗希さんも今や大注目の高校生となりました。
これからも天国から、息子の活躍を楽しみにされていることでしょう。
今後の佐々木朗希投手の活躍に私たちも期待していきましょう!!